津波厳戒下 2署も宴会 鹿児島県警
2011年3月16日 10:06 カテゴリー:社会 九州 > 鹿児島
鹿児島県警は15日、いちき串木野署と錦江署が東日本大震災が発生し 県内に津波警報が出ていた11日夜、飲酒を伴う送別会を宴会場で開いていたことを明らかにした。同県警では志布志署も同様に11日に送別会を開いたことが 分かっている。県警は「危機管理意識の不足」として指導する。
県警警務課によると、いちき串木野署の送別会は11日午後6時半から約2時間、いちき串木野市のホテルであり、奥清文署長ら署員42人中30人が参加。同署は県警本部に「全署員で警戒する」と報告したが、実際に警戒したのは12人だった。
当時、同市沖では津波警報で旅客船2隻(乗客計178人)が洋上待機を余儀なくされ、乗客は約20時間後の翌日昼まで上陸できなかった。
錦江署は11日午後7時から1時間半、錦江町内の飲食店で開催。新原耕男(にいはらすきお)署長ら署員34人中25人が参加した。本部には「全署員で警戒する」と報告し、夕方に無断で9人態勢に縮小していた。
陸自対馬駐屯地 震災発生夜に100人宴会東北太平洋沖大地震の直後の夜、『宴会』を行っていた事で、批判的な報道がなされています。たしかにこのタイミングで『宴会』はちょっとマズイ気がします。
2011年3月16日 00:59 カテゴリー:九州 > 長崎
陸上自衛隊対馬駐屯地(対馬市厳原町、谷村博志司令)の隊員約100 人が、東日本大震災が発生した11日夜に同市内で宴会をしていたことが15日、分かった。災害派遣要請も予想された中での宴会だが、同駐屯地の担当者は 「要請の出る前であり、問題はないと判断した」としている。
同駐屯地によると、宴会は定期異動に伴う送別会で、数日前に同町の料亭に予約した。当日は谷村司令は出席しなかったが、中隊長2人(ともに3等陸佐)などが参加し午後7時から約2時間にわたり、懐石料理やビール、焼酎などを飲食したという。
同駐屯地は「当日のキャンセルはできないと考えた」などと説明。「現在は、酒席など開くことは自粛している」と話している。
=2011/03/16付 西日本新聞朝刊=
まずいのは、状況把握が出来ていないのに判断してしまった事であり、宴会自体ではないと思います。特に自衛隊の案件では、宴会でなくても自宅で飲酒する事もマズイんじゃないかと思います。(飲酒したら出動できないと思うから)
鹿児島県警のケースでも、警報が出ているのに「飲酒」はまずいですよね。警報が出ているということは警戒すること、警戒の結果出動となったとき飲酒状態では出られません。飲酒で正常に業務ができるのなら、鹿児島県では二度と飲酒運転の取締なんか出来ないでしょう。
しかし、今後の日本にとって、何を「自粛」して、何を「復興のために実施」するのかは、関係者の頭を悩ませる問題だと思います。
差し迫って言うと、4月は転勤の時期。各会社では送別会や歓迎会が行われるでしょう。これを行うのか行わないのか。行わないのなら、いつまでそれを続けるのか。
場当たり的に都度判断しているのでは、結局被災地への思いとか被害者への思いでなく、自己の保身とか批判を避けたいという逃げの判断ということになります。
自粛、場合によっては大いに必要でしょうけど、どういう理由で、何のために、いつまで行うという「ポリシー」を明確にしておいたほうが良いと思います。
送別会。これは行うべきでしょう。行く人を送るのが目的ですから、震災の有無で、その人に対する会の存在意義が打ち消されるような性質のものではありません。機を逸したら、その人とは会う機会自体がなくなるかも知れません。
歓迎会。これも行うべきでしょう。歓迎の意を表すことは社交上大切です。ただし、新しい人は以降その場に居るんでしょうから、時期に関しては、少しの延長は出来るかも知れません。 しかし数ヶ月も伸ばしては歓迎の意も何も合ったものじゃないですから、震災の復興ステージが年単位で進行すると思われる以上、延期する意味はありません。
お楽しみイベント(懇親会、余興を主とした会、単なる飲み会、花見)。これは一番自粛してもよさそうな会です。目的が酒類を飲むことという事でしょうから。
夜の食事や飲酒を伴う打ち合わせ、接待。これは、一概には言えませんけど、目的がはっきりして、誰に対しても明確に説明できるのなら、あっても良いんじゃないでしょうか。
他にもあるでしょうけど、飲酒が問題になりそうなら、飲酒という要素を除いて、目的を達成することが出来るかも知れません。
1 件のコメント:
特に自衛隊の案件では、宴会でなくても自宅で飲酒する事もマズイんじゃないかと思います。(飲酒したら出動できないと思うから)
私は対馬の自衛官です。当時対馬には津波警報はおろか注意報もでていませんでした。対馬の漁は通常通り、夜の漁火も見えてました。よって対馬本島に対する出動の可能性はありませんでした。この辺が鹿児島の警察の状況と異なります。また、内地への支援要請があったとしても当日の最終便(1505)は既に出港しており、最速でも次の日までどうすることもできませんでした。この辺は話しましたが記事からは除かれています。自粛か否かの前に・相手を非難される前に、状況をもっと掌握されることを希望します。自粛の風潮、これは「無責任」な感情まかせの報道や無知なる大衆意見または大衆意見への迎合がが原点だと思います。
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